久しぶりの奥多摩。

 シッチが亡くなって、なぜかツーリングしなければいけない気持ちになり、有給をとって奥多摩に向かった。
 ここのところ全くバイクに乗れていなく、奥多摩も規制解除されてからはじめて走った。
 奥多摩周遊はいたるところ工事中で、最高とは言えなかったけれど、それでもやはり素性がよかった。
 久しぶりすぎてライディングはさえなかったけれど、自己最高の8割くらいの感覚は戻った。
  一度ゆっくり走って道路の状況を確かめて、それから相当の余裕を持って走る…。もちろん、安全運転の範疇で。
 運の悪い要素がなければ、バイクは楽しく安全なものだ。
 だけど、砂やオイルが出ていたり、対向車線の車がいきなり中央線を踏み越えてきたりしたら、どんなに余裕を持って走ろうが、どうにもならない。ただ、それは、バイクじゃなくても起こりえることだ。
 人間はいつか死ぬ。
 死ぬときには、できれば自分で納得できる死に方がいい。
 納得の基準は人それぞれ違うけれど、バイクに乗る充実感は、それに足るものになりえる。
 シッチは、まだ成し遂げるべきことはあったし、成し遂げたいことも多かったに違いない。
 だけれど、彼の人生はひとかどであったと思う。
 ライディングで問題は起こしていたけれど、おそらくそれも時間の問題で、クリーンにチャンピオン争いに加わってくれていたことだろう。
 彼は何者かになれると、彼を知るすべての人は思っただろう。 
 シッチの父母が、あまりに立派であるとの報道が聞こえてくる。
 グレシーニさんは今悲嘆にくれてしまっているそうですが、とても理解できます。
 ただ、やはり彼は自分のせいでチームが止まってしまうことなんか、望んでいないとも思うのです。
 グレシーニさん、マルコに最高のレースを見せようよ。
 バイクの素晴らしさを伝えようよ。
 そして、ものすごく安全になってきているMotoGPを、さらに安全にしていこうよ。
 世の中に影響は全くないけど、俺もなにかがんばる。