人の進化発展について

tatsuzuk2004-01-09

一般的に進化とは、突然変異と自然淘汰によっておこるとされていると思う。
現代の日本では、人の「よい意味の突然変異」はあまり見られない。もしかしたらノーベル賞をもらえる頭脳の人や、金メダルとかもらえるひとは突然変異的なものもあるかもしれない。逆の意味の突然変異は多数見られる。一般的にはチャレンジされている人といえるかもしれない。
一方自然淘汰という意味では、ほぼなくなりつつある(生命維持に重大な問題があるときは、まず生まれてこないだろうが、これは今も昔もあまり変わらず?)。チャレンジされていても、コミュニティで助け合い、生きていけることが多いからだ。
人権という概念のおかげでチャレンジされるかたがたも生きられるようになるのはいいことだと思う。いい悪いは置いておいて、進化に必要な変異があること自体大事だと思う。#そのコミュニティに、助け合える余裕がある限り、だと思うけど。。あと、チャレンジされた遺伝子を後の世代に伝えていくのは、後の世にどんな影響が出るか怖いが平気なのだろうか。。。

そして、人間には、知恵を残すという遺伝子に頼らないものすごい進化方法がある。これはすごい。文化文明は進化に匹敵、あるいは凌駕するファクターであり、人間ってすごいなと思う。
古くは口伝、壁画などから、文章であったりデジタルデータであったりと進化を続けている。何かを残したいという人間の欲求はこんなことも一因していると思う。
何が記録として残されていくのかというのもポイントだ。記録である限り、歴史認識のように間違えたり改ざんされたりする可能性はあるし、思想統制とか焚書坑儒の時のような記録知識の制限という可能性すらある。進化を続けるためには、自由な記録が絶対条件であるだろう。幸い、世界レベルで許されているが、日本にもあるように個人情報保護や国益を優先したメディア規制などの風潮もあり、順風満帆とは行かないようだ。
さて、規模を身近なものに落とすと、自分の生きている環境に特化した知識の集約というものは、自分で作らない限り、ない。日記はこれに近く、プログなんかがはやりだすのもこういった要因もあると思っている。自分の周りのコミュニティに特化した知恵の集約ができるといいな。と、思う。特に、親から子にスキルや観念を伝えるのに、口伝だけではなく、記録として残すとより効率的であるとおもう。